一般人 - Google 検索。

“一般人”と云う言葉はよく,著名人やお偉いさんなどと対比して,とくに有名でもなければ特別な資格・能力・地位をもっているわけでもない人々の総称として使われる。ときに,“オタク・ヲタでない人々”の意味で使われたりもする。そんな語句をぐぐってみると…上位は後者の意味で用いている頁が多いことに気づく。オタクネタを扱う頁が単純に多いのか, Googleにさう云う頁ばかり集める癖があるのか, Googleが“こいつはオタクだ!”と勘違いして,偏った検索結果をよこしているのか…そのへんは謎だが,白林檎的にはこの傾向がおもろいので,たまに思い出したときにぐぐっている。はてなキーワードの“一般人”やオタと一般人の境界線?, iandeth. - 一般人とプログラマの見分け方あたりは,トップ10の常連だ。
ふと11件目以降へ目をやると,ちと興味深い増田*1を見かけた。「一般人のパソコン」と題して,専門学校でPCの基本操作や情報リテラシを教えていて,気づいたことが綴られている。白林檎的にも意外に思う点が多々あったが,頭から数えて最初に疑問に感じたのは,高校を卒業したばかりの若者に, PCの基本操作を教えていることだ。Wikipediaで確認したところだと,高校の普通科目には2003年度から「情報A」「情報B」「情報C」が設置され, PCの活用 (実技) と情報リテラシの話を大方カバーしているやうに読めた。「情報」と銘打った科目が設置される以前も,中学の「技術・家庭」や高校の「生活一般」で, PCのGUIの基本操作やオフィススイート,お絵描きソフト程度の扱い方くらいを,実機に触れながら教わる機会はあった。ましていまどきの高校生なら, PCなどおねだりしなくても親のお古が降ってきて,いまなら北森とかPowerPC G4あたりを積んだものが与えられたとしても,何ら不思議はない。生徒は暇するだけでは? と思った…
が! Wikipediaの頁を下へ読み進めると,暗い現状の話があった。授業が実質“パソコンの使い方講座 (初級編)”だったり,大学受験に必要な科目を優先するあまり,必修科目にも関わらず未履修のまま卒業させたりする学校が多いさうだ。となると,高校卒業後にPCの使い方をゼロから教わらなければならない人は,自宅・学校・友達の家・近所の電器屋などあらゆる場所で, PCを実際に動かし,何らかのかたちで使い方を習得する機会を奪われていたことになる。PCの基本操作など義務教育の期間に習得させ,高校では応用的な実技に加え,リテラシの部分も重視した授業を行ってほしい。家庭環境が重要なしつけを学校で行うのは無理だと思うが,コンピュータ リテラシは家庭にPCや鯖がない生徒のことも考慮し,義務教育の範囲で可能なかぎり対応すべきである。大学へ上がったり,就職したりしてから, PCをろくに使えないことで子供に恥ずかしい思いをさせてはいけない。
さて,だいぶ脱線したので話題を増田へ戻すと…PCの操作方法などを教えられても覚える気がなく,次の授業までにさっぱり忘れてくる生徒たちがいるさう。こう云う人種はいったい,何のためにその専門学校へ通っているのだろう? 専門学校は,その道へ就職することを前提に, (一般的な大学と比べて) 実技寄りのカリキュラムが組まれていると想像される。大学の講義で理論の話が延々続くと,次第に飽きて“試験さえ通ればいいや”と云う気になってしまうのはありがち*2だが,就職後にすぐ使いそうな実技を習得する気がないと云うのは,その道へ就職する意思がないことを意味するのではなかろうか。
文脈から,著者が教えに行っている専門学校はコンピュータを専門に扱う (ソフトウェアの開発や,ネットワークの運用保守等々の技能を身につける) 所ではなさそうに見える。しかし10年以上前から, PCやそれに準ずる端末は,ありとあらゆるビジネスの現場で使われており,避けて通ることはもはや不可能だ。PCなんて授業で使ってるだけで普段の生活では見たくもないらしい 輩は,まず職探しに苦労するだろうし,どうにか希望の職に就けても要らん苦労をし続けるだろう。

*1:あのにますだいありーの略と気づくまでに,しばらく時間かかった。

*2:そして実務で,“あんとき数学をしっかり勉強しておけば…”とか後悔させられる人々が少なくない。おいらや同僚も,その仲間だ w。